20160825

夏の思い出

鞆の浦とてもよいとこだった。海の景色も良いけど、鞆の町がとてもきれいだった。
あとでポニョの舞台のモデルだって教えてもらったから、今になるとジブリの色で思い出す。

久々に旅行っぽく、歩く会のあと寝ないで準備して、始発で出て18きっぷで移動して、翌日の夕方にペガサスに会うまでずっと一人でブラッブラしてただけなんだけど、とにかくずっとなんだか楽しかった。

18きっぷを使うのもとても久しぶりで、一日で福山まで移動という強行な使い方を反省するとともに、金山や塩屋やらを通過する時のなんとも言えない気持ち、途中途中で誰かに会うこともありなんだという、以前とは違うきもち。

もっとちゃんと計画するべきだったんだろうけど、おもいつきというか、歩く会から続いて3泊4日って感じで、もう流れで行っちゃお〜って感じで
それで広島まで人って行けるんだな…
24時間ていっぱいあるんだな…という
そんなだいたい、わかりきってることを、ずっとやってなかったんだなと思った。

電車に乗るの楽しかった。
東京に戻ってからももっと旅したい欲があって、今度名古屋行くときは電車使いたい。名古屋いこ。


よく尾道まで行ったなと思う。
コンシェルジュ(草)が迅速にきっぷとってくれたもんだから行けたっていうのもあるです。
ペガサスがライブやるから観に行きたいなっていうただそれだけだったけど
行こうかなって言ってしまってからあれこれ考えた。
しかしよく考えたらあれこれ考えてるフリであって、ペガサスを観にいくに決まってるのであって、あれこれは忘れることにして、目の前の旅に集中した。

それで尾道でペガサスに会ったら、どこにいるのかよくわからなくなった。
翌朝モーニングしてる時まったりしすぎて東京にいるみたいだなと思ったけど
思えばこういうのは東京にいても同じような感覚かもしれない。
べつにどこででも「ペガサスがいるところ」ってだけ。
はるちんがいてもだし、沖縄でもドイツでも私そう思うかもしんないな。

なんだけど、
あーこのライブ見逃さなくてよかったなあーと思うライブをペガサスはしていたので
それは多分尾道でこそ思うことでもあったと思うので
それはつまりペガサスは尾道でこういうライブをやるのかあーという意味も込めで
同時に尾道でもこういうライブをやるのかあーの意味もあり


私はずっと場所について何か言い続けているけど、
もう私が話さなきゃいけないことは少なくなっているなと思う。
それは私がいろんな場所を知りたいと今はあまり思っていないというのもあるし、
場所について語ってくれる人が増えたってこともある。
語らずとも、感じてくれる人が今はいっぱいいる。
場所っていうのは、空間と、そこまでの時間の、内容でできてると思うんだけど。


尾道であのペガサスが観られたことは、場所のおかげ多大だということは、私がわざわざ語ることじゃないと思うし、誰も語らなくても誰もが知ってるっぽかった。
なにがどうよかったかなんて知らないから。
でもよかったことがいっぱいあったのだけわかる。
帰ってきてからも想っている。
やっぱ尾道なんてそう行けないし、行くことができてよかったと思ってる。

とはいえ
ペガサスにとっての場所の力っていうのはいわゆるミラクルとしてじゃなくて。
いつものように、アイディアや挑戦を惜しまぬ姿勢で、はるちんがいることでそれを体現できてて、そんなの見せられたらそれだけで来てよかったって思うし。

そういったいろいろで、やっぱりペガサスさんはたいしたものだなと、結構ショックを受けたけれど、じんわり興奮した。

そうだよな。
劇的に表現できることよりも、衝撃は静かに深く受けとるもののほうがおもしろいモノに決まってるよなー。
シン・ゴジラもどうしてか理解できないけどただまた観たいんだもんな。
ねじこみ。

私にとっては
いろんな場所でその時その場所でのペガサスを観たいのと
どこであってもやっぱゆるぎないペガサスを観たいのと
どっちも同時にあって、
だからペガサスがどっか行ったらまた私も観に行きたいなあと思うのです。
あんどペガサスのいるところは私にとって「森の中はマイナスイオンがいっぱいですね」とか「洗いたてでふわっふわね~」みたいな感じです。
尾道なんて行けてよかったなあ。楽しかった。
船ずっと見てるの楽しかった。


今度はるちんに会ったらいっしょに写真撮るのを忘れないように。
 
















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