20160702

ふちがみとふなととばんせ



二日間でいつもよりビールを飲んだ。
移動した。
私は車にのっけてもらってただけなんだけど、大阪ってこんな近いのかあと思った。

ふちがみとふなととばんせ。
それができる日がきたのは、杉本さんの気持ちだけ。
思いだけでほんとうになることの意義を私は改めて見直した。
思いつきじゃなく、思い。思いつきから成る、思い。

だからやってみてどうなるかなんてあまり気にしていなかった。
ある意味もっと気にするべきであったし
ある意味やっぱ気にしなくて当然だった

始まる前も、終わってからも、私が言葉にすることはない。
ただ、よく使ってしまうこのセリフも、初めての意味を持っている。
初めて、衝撃ではなく、震撼でもなく、奇跡でもなく、ここにあることをそのまま受け入れて言葉をなくす感覚を味わった。
ふちふなさんが終わったあとにひとりになってちょっと泣いた。
初めてほんものを見て、はいりきらない感じだった。

それと、初めて、伴瀬の「牛」って曲が、「牛」って曲として讃えられた気がして、本当に嬉しかった。

私の牛の話。

一番はじめに「牛」を褒めていた人はしょうちゃんだった。伴瀬さんの「牛」って曲がすごいんだよとカウンター越しに教えてくれたのを、「牛」を聴くたび思い出す。

でもそれきり、「牛」は、ほんとの牛みたいな存在で聴かれ続けてたように感じてた。
私は「牛」から透かして見ているものがあったのかもしれない。

だからふちふなさんが、この日に初めて聴く「牛」を
その場で理解し育んでくれたことで、「牛」が生き返ったような気持ちになってしまった。
単純に、素晴らしいセッションだったと言えばそれでいいのだけど、
私にとっては何年越しかでずっと求めてたものだったような気がした。

この人たちは音楽なんだなと思った。
牛のことありがとうって思ったけど、さすがにそれをふちふなさんに伝えるのはずうずうしいので、拝むように感謝の気持ちを心で。

ウシウシ言って大袈裟かもしれないけど、私がついにふちがみとふなとに邂逅したその象徴が、牛。

ホプケンでおいしいものいただいたり、
佐々木さんに高校野球のはなししてもらったり、
お風呂のあとにたこ焼き食べたり、
鍵が取れなくなったり
滞在約20時間大阪を楽しく過ごせました。
杉本さんテラシマさんはじめ大阪の街のみなさん、どうもありがとう。
楽しかったです。

今回もお正月のばんせクワルテットでおじゃまさせていただき、みのさんはDJがあるので早起きで先に帰り、我々も鍵を抜いて帰京、ばんちゃんコボちゃんのご協力のもと、私はアモーレペガサスに会いに行くことができたのでした。つづく。
 




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