気楽パーティーがおわり、気軽パーティーの配信も明日でさいご。
おつきあいいただいたみなさん、友人たちに、感謝です。
どうもありがとう。
楽しんでくれて嬉しかったです。
おわってしまった…って感じでもないんですけど。
まだハラモーニングのあとがきを、書いてもいなくて。
(でもその前に打ち上げちゃった)
HAPPLEとの一年、想いがありすぎて、なにを残しておけばいいのかわからない。
もし、
私のこのブログが手紙なら、
HAPPLEへ、私へ、どう残すべきか。
この手紙は、君に届いたあと、どこへ行くのでしょう?
という、疑問への答えはひとつ、心です。
だと思う。
手紙は、心に行って、忘れてしまうかもしれないのに、心は記憶とは別ものです。
いま感じたことを、自分が忘れてしまっても、心が覚えててくれる。
私たちは、一年かけて、手紙を書きました。
2015年はHAPPLEイヤーで、
前述のペガサス以上にHAPPLEと一緒にいました。
去年はHAPPLEはあまりライブをせず、やっててもわたしが行かなかったりもしてた。
けど今年は、HAPPLEの年にしようって覚悟を決めたのは、
やっぱりHAPPLEが私を誘ってくれたからっていうそれだけで。
必要とされるのは単純に嬉しいことだし、
それ以上に、ほかのやつにやらせられるかよって気持ち。
こういうこと書くとほんとにあたま、おかしいひとだし、恥ずかしいけど
HAPPLEとは私がやるんだ。東京の演奏以外にできるか。
って思ってたこと、長い手紙を遡ってみて、思い出した。
その気持ちと同じくらいに反対に、不安だった。
HAPPLEに私が何をしてあげられるのか?
何もしてあげられないんじゃないか?
なんかねえ。
いまは、わかるんだけど
何かしてあげるなんて傲慢だし、
私にできることをがんばってすればいいだけだし、
いまならわかるのに、そんな想いで一年過ごしてしまったことを、後悔します。
いまなら、わかる、後悔した、こと。
これが私が見つけるべきことだったのかなあと思っています。
この一年で、何かを見つけなきゃいけない気がしてた。
いちばんわかりたいのは、HAPPLEの想いでした。
どうしてHAPPLEが今年私とやってくれたのか。
私は最後まで気づけなかった。
それは、ペガサスの時と同じ、私は私自身のくだらない理由で気づけなかった。
くだらない決まりごと、拘り、コンプレックスのせいで、
彼らのことを考えてるつもりがわかってなくて、気づけなかった。
もうそういうのは、さよならだ。
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