20141007

ホライズン教徒一節

一回のライブでホライズンの全部を観るのは私には不可能なのでここがよかったあそこがよかったというようなことは書けないのですが、
やはりホライズンの出番の前には人知れず「これからホライズン」に入り込み
少し前の日からあー次楽しみだなあと思うような
そんな気持ちでホライズンを観るに挑むというのはとても幸せなことであると思います。

ワクワク感が尋常でないようだと。
今日は特に久しぶりだったので本当に楽しみにしていたようだと。

気づき、そして期待(そんな自分のワクワク度に対しという意味で)にばっつり応えてくれ(くれる、はあくまでわたくしの主観で)たライブだったです。

ハラハラとワクワクを勘違いしているとしてもそんなことは別にいいので
ホライズンへのワクワクは一生失いたくない。

明日からホライズンが観られなくなることはとても恐怖であり
明日からもホライズンが観られるということは奇跡的なヨロコビです。
なんでなら
人生を学びながら歩いていく道程において
ホライズンから得てきたものは重要なテーマだからです。
そんなことは一般的にどうでもよいとしても、
音楽の面白さを与えてくれるホライズンからの恩恵を
わたくしは享受し続けたい。

どんなに憧れようとも
ホライズンにはなりたくてもなれない。
特になりたくはないかもしれない。とりあえずホライズンにはなれない。
けれどもホライズンの音楽を楽しみ観るものであれる、そっちであれてすごくラッキーだなと思います。
こういったあたくしの気持ちがなくならないことも、レーズンパンになら託せる気がします。


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