20100606

野田薫「あの日のうた」

すごく長くなりそうなのでつきあえない人はここまでで。
全部かく かいてやる 感情的なんだ いま







ここ最近野田薫ばっかずっときいていたのです
「あの日のうた」
もちろんほかのCDもすばらしいものが何枚か手元にあって聴いているけど、最初に聴きたいと思うもの、そしてまた戻りたくなるのが野田さんのアルバムだった。
そしてレコ発から帰ってまた聴きたくなっている。
私のそれは、きっと正当な音楽的評価ではないはずだ。
私にはこのアルバムの「良い部分」については詳しく話すことができないもの。
中毒性、と言ったひとがいるけど
思い当たる。
あるとき 離れ難い と思った瞬間があった。
ずっと一緒にいたいと思ってしまった。
「あの日のうた」と。
それからずっと一緒にいた。


中毒性といえば
「あの日のうた」のレコ発に招かれた二組にも思い当たる。
片想いと尾林星。


片想いと尾林星と野田薫。
これ、野田さんどうゆうセンスしてんだ!というくらい高度な企画だ。
それに気づかない人は残念だとしか言いようがない。


片想いは 久しぶりで想い出深い(ような気にさせられる)曲をたくさんやっていた。そんなことどうだっていい。
今回は スティールパンがあった。そんなことどうだっていい。
今回は 西荻の若大将チェリスト関口将文が参加した。そんなことどうだっていい。
えんちゃんが 踊りを強制されていた。そんなことどうだっていい。
シンくんは 当日やってきたボクササイズを軽く取り入れていた瞬間があった。そんなことどうだっていい。
いっしーが アドリブで凄まじいメンバー紹介をした。そんなことどうだっていい。
設定が 高度過ぎたけど大丈夫だったのだろうか。そんなことどうだっていい。
あの曲をやってあの曲をカヴァーした。そんなことどうだっていい。
そんなことごとはどうだっていいのだ。
片想いがいつもやっていることである、いつもはやらない、ということをやってただけだ。
片想いは本当に美しいバンドだ。
なんかおっさんばっかいるけど本当に美しいのだ。
美しい、なんて言葉でまとめると寒気がする。
だから好き。
私は片想いメンバーのこと、好きすぎる。



尾林くんはエフェクトを取り入れていた。
2010年宇宙の旅みたいだった。
(ああいま2010年なんだな)
(でもたぶん私が思ったのは2001年のほうだきっと)
正直全体の構成が高度過ぎてみんなついてけないぎりぎりだったが、最後には勇者でハートをつかんだ。
マイペースだった。
別に誰もついてけなくていいんだと思った。
それはだめだけど、いいんだと思ったのは、
尾林星はやっぱ無敵になったと思ったから。
敵だったものはもう、ただの気分だ。
それでいいんだぜ!
それにしても、ロックスターみたいだった。
尾林くんはステージにいないときほぼオーラが無い。
影のようにどこかにいる。
そんな尾林くんがとても好きなのさ。



この二組を知った時私は中毒を起こした。恋をした。
私が心からその音楽を愛するひとたちである。何があろうとだ。
そして今回は恋して真っ最中の野田さんがいた。
あるとき 野田さんがすごく好きだ と言ったら
野田さんが?野田さんの音楽が?と訊かれた。
そんなの、、、どっちもだろ〜 、、、 え? と思ってそのときうまく返事ができなかった。

私は「野田さんの音楽」が好きなんだと思う。
だけどその音楽をしてる人は当たり前に好きになる。
私は彼らに音楽でしか知り合えなかったかもしれない。
それでも音楽で知り合ったなら、音楽が素晴らしかったなら、とても好きだったら、
何があろうとその音楽をしている人が好きに決まってるのだ。
そんな私はおかしいかもしれないけど、私にはどうしてもそれしか信用できない。
変態かもしれないし、そうだと言われて安心したこともあります。



野田さんはアルバムの曲を順番に演奏した。
アルバムに収められているとおりの編成で
つまりそれはアルバム聴きまくっていた私にとって「生だ!生!CDの!やつ!」という興奮をもたらす。


「秋のおとずれ」 チェロ関口将文とグランドピアノの前にいる野田さんが、いきなり素晴らしい絵面、かっこよすぎた。関口くんのチェロもかっこよすぎた。

「ただあたりまえに」 大河原明子、古川麦のツインホルン。絶対的に壮観。想像を超えるきもちゆさぶられかたをした。クールでやさしかった。ホルンのアレンジはMC.sirafuらしい。

「メロディー」 野田さんひとりで。野田さんの歌は言葉より先に印象がきもちを打つ。「ああ、」っていうフレーズできもちをつかまれたり。

ここでピアノのインストが入った(ここだったと思う)私にはピアノ曲の善し悪しはほんとにわからない。わからないから、すごくいろんなことを考えた。野田さんの曲について。書けるようなことは何もないけど。

「ふと想う」 この曲はアルバムとは少し違う編成だけど 関口くん、麦ちゃん、シラフ、あだれい、この、この、ひとたちを「従えた」野田さん、眺めているだけで凄かった。そして祝福と幸福の音の嵐!あだち麗三郎は「あの日のうた」プロデューサーでありレーベルオーナー。

「わたしの知りたいこと」 ピアノ弾きの野田さんがハンドマイク、西井夕紀子がピアノ。それだけに、ゆっきーはなんていうかすごく責任を持って演奏をしてるんじゃないかと思う。ゆっきーはずっと野田さんの姿をみながら演奏していてぐっときてしまった。それを伝えたら「見ないと合わせられないから〜」と言ってたけど、それはやっぱゆっきーが野田さんのために、ピアノ弾いてたってことだと思う。

「あの日」あだれいドラムとふたりでアルバム最後の曲。うう。


野田さんはアンコールやる気はなかったようだけど、そこはやるでしょう。
新しい曲を、それはやるでしょう。


あーなんだか 書ききった感があるけど、まだ終わってない。
ぜんぶかく


「あの日のうた」は6章に分けられた小説のように一貫したストーリーがあると思う。
そうゆう言い方ってありふれてるか?
でも実感した。こうゆうことかと思う。
6曲を何度もくりかえして、くりかえす度に必ず感動した。
歌詞の意味とか考えなくても、なにかひとことが響く瞬間瞬間にとても深くはまってしまう。
ピアノのイントロが始まると言いようの無い安心を感じたりする。
小説でいうなら、物語の流れではなく、文脈の美しさとか描写の確かさに感動するみたいなことだと思う。
そしていつのまにか全体の素晴らしさを知っている みたいなこと。
野田さんの声がいつでも頭のなかにある。
これ、何だろう?
と、ずっと思っているのだけど、わからないまま、ただとにかく聴くだけ。


再生回数の多さは、音楽の素晴らしさなのか?
それが私ははっきりしない。
たとえば井手リョウさんの音楽を聴くのも、野田さんと同じような感覚だ。
とにかく何度も聴きたくなるけど、褒めようが私にはわからない。なんだか失礼な話みたいだけど、
私に言えるのは、
好きだということだけだ。


「あの日のうた」は今回出演したみんなのバックでの演奏、やっぱりそこも私には大切なことだった。
いつもとは違う楽器の音でも、いつも聴いてるブラシの音でも、これ知ってるなあと思うみんなの音があって、なんだかたまらなくなるよ。
それを繋ぐ野田さんのうたに、なんか救われていたような気がする。




と いうようなことを簡潔に、少しさっぱりめに レビューを書かせていただいたので機会があったら読んでください。スポッテッド701の今月出る号です。そこに書ききれなかったことをいまかきました。
轟渚さんと三輪二郎さんもいっしょに書かせていただきました。
文章としてはアホさのみですが 私の気持ちだけでいいと思いました。
これからも そうする

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