20100525

ファッキンフェスのこと

東演です。
私はぐるぐる回る2010に関しては終わってからいろいろ言おうと思っていた。
実際やってみてどうなるかわからないし、キュレーターたちの士気に関わることだと思ったから。
でも実際みんなそんなどうでもいいのか? と思ったのでかく


あくまで私が、それに関わる人々をみてて感じたことだから、そこは間違わないでください。
そんで読んでくれるならぜったい最後まで読んでください。


そもそも去年までも廃校フェスというフェス自体にはそこまで魅力はなく、好きなみんながいるイベントに参加できる楽しさだけだったと思う。それでも教室という、ライブにとっては特殊だが誰もが馴染みのある空間でクラス単位でミニマムに、けれど全校になったときダイナミックにも思えるフェスとしての面白さが、去年まではあったわけで。
でも、今回埼玉スタジアムでやるのは必然性を感じない。
実際ライブを企画するキュレーターたちが音づくりで悩むのは必至だと思う。
機材の持ち込み、搬入撤収、時間の制限に加え、
アクセスの悪さ(私はサッカーを観に行ったことがあるから、ライブイベントをするには、そして去年と比べて、悪いと言い切るよ)がある。それを「特別感」にしてしまう無理も感じる。


6月末の開催で、新たにブースが設置されるということで私も一応声をかけてもらった。
5月に入ってから。
今からでは面白いことは思いつかない、という理由で断って、
実際それもそうなんだけど
フェス自体に魅力を感じていたら無理にでもやったかもしれない。
参加したくはなかったのだ。


主催ばかりではなくキュレーター間、ブース間でも色々とスムーズでないこともあるようだし、
それが出演するアーティストに影響を与えていることもきいている。
そうゆうのは当然あることでしょ、と言えるかもしれないけど
主催の方のインタビューを読んでていちいち「そうなの?」って思った。
その感覚がキュレーターの意識まで麻痺させてない?と思った。
違和感とまではいかなくても、これだ!って感じて準備できてるのかなあ、みんな?
結局デカイフェスというのはデカイことだけに意義があるのか。
デカくていっぱいならスゴイじゃん!てだけか。
フェスの大きさと、本当に大切な音楽の意義は比例するものではない、で
それでいいんだね、ぐるぐるは、という印象しかない。
規模が大きければイイでしょそりゃ!という目的の無いイベントに感じてしまう。


それはお客さんが知らなくてもいい、すごく細かいニュアンスのことかもしれないけど、
お客さんが知らなくていいことなんて、あるのか?
むしろ、観る人が意識すべきことじゃないの?


私はどうだっていいのだ、どんなフェスになったって。
でも、私の好きなひとたちが多く出演が決まっているのだ。
言っても東演まつりできるじゃんてくらいのめんつなのだ。
彼らに敬意を示せないようなイベントには、正直彼らに出てほしくない。
彼らをないがしろにして目玉アーティストがどうのとかいうイベントになど出てほしくなかった。
たとえ真価を知らずとも、全ての出演者に敬意を示せないならイベントするなと思う。
私のまわりのアーティストたち以外にも、違和感を覚えさせているんじゃないんだろうか?
そして私が知る人々がキュレーターをしている。
それを思うとこんなこと書くべきではないかもしれないけど、彼らが本当に面白いと思えているのかも全然知らないけど、私は気がかりだ。


そして、
字が小せえ とか
プロフィールもねえ とか
それを不快だと発言する出演者に対し、
穏便にやろうよ、とかもし言う人がいるならそれは違うのだ。
出演者として当然の態度なんだよ。
他のひとたちにももっとプライドとか問題意識とか持ってほしい。
当日だってまともに演奏出来るかどうかなんてわかんないんだから、緊張しなきゃだめだと思うし。


それでも、結局、終わってみれば面白かった、で事は済むのかもしれない。


でもよく考えてほしいんだよなあ、
今自分たちがどこで演奏するべきなのか、観るべきなのかってことも。
(そんなこと言って東演に誰もこなくなったりしたらどうしようだが はは・・・)
そして何のためにイベントを興すのかってこと。
ぐるぐるだけじゃないよ、
自分が関わることなら、もっと考えなきゃ。
そいで、たとえそのときは何も出来なくても、次の意識に活かさなきゃ。



ここで言いたいのはフェスに対する文句だけじゃないからいま書くことにしました。



前にモモジさんが「お客さん10人くらいだけでやりたい」みたいなツイートしてて、そうゆうのをさらっと言えるのが凄いなあと思って、
私にはそれがものすごくいまどきに感じた。
これ関係なくないよ。
大きいフェスが駄目とかそうゆう単純なことでもない。
わかってもらいたいです

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