20091009

うたはだれのもの

前後してます

十代暴動社イベントにていなかやろう
セブンスフロア、アコースティック


会場もあたたかく、良い演奏だった。
なんだけど、私は個人的にテンションが下がった。
土岐くんが歌詞を間違えまくっていた。
土岐くんがつくった歌詞だし、日に日に変わっていいし、
うまくごまかせばいいだけのはなしで、初めて聴くひとにはわからない。
歌詞を間違えるのは音楽にとってたいしたことじゃない。

わかっとるよ。

でもね、私にとっては(私たち、と言えるであろうと信じたい)
大事な「ロージー」であり、大事な「パーフェクトミュージック」なのだ。
気持ちのいいあの瞬間がくるのを待っているし、
演奏と同じように言葉のひとつひとつを大切に思っているのだ。
私たちへのメッセージじゃなかったとしても、曲と言葉の音でどうにもぐっとくる瞬間があるのだ。
だから私は下がっちゃいました。

悔しい。土岐くんが曲を大切にしてない気がして。
「私たちの」いなかやろうの曲を大事にされてない気がしてしまって。



と、いうのは、とてもくだらないエゴです。

ここに書くことじゃない本来。これは土岐くんへのやつあたりです。
さらに正直にいえば私自身会場に馴染んでなかったこととかもあったし。
ここにこんなことを書いたら土岐くんやほかのいなかめんがいやな気持ちになるかも。
でも土岐くんなので、書いています。
だっていなかやろおは、いなかやろうとしてのプロにならなけりゃだめでしょう。

そしてそれは土岐くんだけにじゃなくて、うたをうたうみんなに言いたいことだよ。



だけどみんな、いなかやろうよかったって言ってた。
だからいいんだと思う。
私は、彼らの良い演奏を褒める事より、自分が下がったって事ばかりにキモチが向いたことがくやしい。

 

まあ、さみしかったってことです。 


かやるたダンスは最高だった。



 


そのあとおとぎ話。
アコースティックといいながら編成は別にそうでもなく、でもアレンジはばっちり変えてるという、
またそのみせ方とか表現力とかたたずまいとか
彼らはそういう部分がほんとにすごいと思った。

 



そして前野さん。
エレキ。
ひさしぶりでした前野さん観るの。

おとぎ話も前野さんも、それぞれに、みせ方として「にくいなあ」という部分があって、そういうのは私はどうでもいいのだけど、とにかく
そういうのが払拭されるのは、
とにかく前野さんは、真剣なのだ。
前野さんは本気なんだよ。
だからすごいんだよね。

だから当然いいライブだった。
「ばかみたい」って新曲よかった。

 


ねじ梅タッシと想い出ナンセンス。
ボーカルのねじ梅さんは板前さんで、うわさの、魚をさばくとこみれた。なんじゃあの光景は。
私は遠征に行ってびびっとくるバンドに会ったことは無いのだけど
それはめぐりあわせでしかないのだけど
京都行ったとき偶然観たバンドがこういうバンドだったらうれしいだろうと思った。
まっすぐ。




すごい勝手なことを書いたけど。
まあいつも勝手なんだけど。
リスナーとしてお願いしたい、演奏家のみんなに。
私たちは音楽をきいてるんであって、歌詞なんてどうでもいいこともある。
だけど、うたのある曲を演奏するならば、演奏の一部としてのうたを大事にしてほしいし、曲を作ってきかせたのならば、作品を大事にしてほしい。
葬り去るくらいならはじめから聴かせないで。
眠らせずに「やっていけば曲は良くなる」と ある音楽家が言っていた。
私はそれを信用するし、そう考える音楽家を信頼します。







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